深夜の日本酒と半世紀の思い出
深夜、静まり返った部屋に、チリチリと小さな音を立てて燃える線香の煙が立ち上る。手元には、沖縄の泡盛ではなく、あえて取り寄せた故郷の日本酒。ちびり、と猪口を口に運ぶ。舌の上で米の甘みが広がり、喉を通ると、じんわりと身体が温まる。
還暦を迎えた今年、私は沖縄本島に移住した。半世紀以上生きてきて、ようやく辿り着いた安住の地。そう思っていた。しかし、現実はそう甘くはなかった。
「有り難い」
沖縄の人々は、皆、そう口を揃える。私も、移住当初は、その言葉の意味を深く考えることはなかった。しかし、日が経つにつれ、その言葉の重みに気づかされる。
「有り難い」は、感謝の言葉であると同時に、遠慮や気遣いの言葉でもある。沖縄の人々は、親切で温かい。しかし、その温かさは、時に私を疲れさせた。
例えば、近所の人々が、次から次へと珍しい食材や手作りの料理を持ってきてくれる。最初は、その心遣いに感謝していた。しかし、日が経つにつれ、その量が私の手に余るようになった。
「有り難いけど、もう十分ですよ」
そう伝えても、彼らは笑顔で「遠慮しないで」と言う。その言葉に甘えれば、さらに多くの「有り難い」が押し寄せる。
「有り難い」は、私を喜ばせようとする彼らの精一杯の表現だ。しかし、私にとっては、時に重荷となる。
移住して半年。ようやく沖縄での生活にも慣れてきた。しかし、未だに「有り難い」の波に飲まれることがある。
そんな時、私は深夜に一人、日本酒を嗜む。猪口を傾けながら、半世紀分の思い出を辿る。
故郷の雪景色、学生時代の友人との騒ぎ、仕事での成功と挫折、そして、最愛の妻との出会いと別れ。
様々な思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
「有り難い」
その言葉は、沖縄の人々だけでなく、私の人生にも当てはまる。
生きていれば、嬉しいこともあれば、辛いこともある。しかし、どんな時も、周りの人々が私を支えてくれた。
彼らの「有り難い」に、私はどれだけ救われたことだろう。
還暦を迎え、ようやくそのことに気づいた。
「有り難い」は、感謝の言葉であると同時に、生きていく上での羅針盤でもある。
沖縄での生活は、決して楽ではない。しかし、私はここで生きていく。
「有り難い」の波に乗りながら、新たな人生を歩んでいく。
猪口に残った日本酒を飲み干し、私は静かに目を閉じた。
線香の香りが、私を優しい眠りに誘う。